イルカの追い込み漁はなぜ残酷と言われているのか?知っておくべき本当の事

太地町のイルカ追い込み漁が残酷と批判され
JAZAは苦渋の決断を下しましたね。

なぜイルカの追い込み漁は
残酷と言われているのか?について

調べてみたら、その真相が
だんだんと見えてきました。

牛や豚となにが違うんだ?とか
誰もが思い浮かぶ反論では
通用しないと分かってきたので

正統な主張をしていく必要があります。

関連記事:イルカの追い込み漁の感想や意見!世界と日本との潜在的な意識の違いについて



イルカ漁を批判された今回のニュース


太地町のイルカの追い込み漁が残酷だと批判され
世界動物園水族館協会WAZAが
日本動物園水族館協会JAZAに

「イルカ追い込み漁で捕獲された
イルカの購入を止めないと除名する。」


と言ってきました。

JAZAはしぶしぶそれを了解したのです。


イルカの追い込み漁について

イルカ漁はもともと日本の太地町が行っていた
伝統的な漁業です。

捕獲したイルカは食用として食べられたり、
水族館に売られたりします。

そして水族館に売られたイルカは
ショーに出たりして、水族館の人気者になっています。

日本の水族館が漁で捕獲したイルカを
購入できなくなると、今後イルカはどこから
水族館にやってくるのでしょうか?

もしくはいなくなってしまう?

どうやらイルカを捕獲するのではなく
繁殖して、飼育するということになるようです。

でもイルカを繁殖して飼育するとなると
それも専門の施設が必要になる。

そんなお金はない。

そこで今まで活躍していたのが
太地町のイルカ漁だったのですが・・・。

このニュースを聞いてまっさきに思うのが
なぜいきなり、こんな事を言ってきたのか?
ということ。

一体なにが残酷なのだ?と。

JAZAはWAZAにちゃんと
何が残酷なのか質問したそうですが、
明確な回答は得られなかった
ようです。

人の国の漁業に対して文句つけるなら
ちゃんとした理由をいってほしいですよね。

そこで私なりに調べてみました。


なぜ残酷と言われるのか?



どうもWAZAがいきなりこんなことをいってきたのには
反捕鯨団体シーシェパードの存在があるようです。


シーシェパードについて

反捕鯨団体シーシェパードとは
その名のとおり、イルカやクジラの捕獲を
反対している団体です。

1982年からじわじわと日本の捕鯨活動も
標的になっていたのですが

2003年からは本格的に標的になりました。

シーシェパードは
イルカ漁の網を切断したり、
太地町に対して今までに
数々の抗議活動を行っていました。

漁業の関係者や県知事の個人情報を
HPに載せて、閲覧者に電話や手紙で抗議するように推奨
しています。

抗議活動という名のただのいやがらせ
としか言えないと思います。

抗議活動はネットで随時配信しているので
世界にたくさんの閲覧者がいます。

HPを見つけました。
シーシェパードHP

シーシェパードがWAZAに対して
日本の追い込み漁を辞めさせるように
ずいぶん文句を言っていたようです。

その抗議がヒートアップして
世界各国の人からたくさん来て
手に負えなくなっていき、

それでWAZAも行動に出たというわけです。


WAZAを納得させたシーシェパードの主張とは?

HPを見るとこんなことが書いてあります。

・「太地町は残忍な狩り」をしている。
・血の海になっている。
・イルカたちは自分の家族がさばかれている様子を
見なければならない。
・イルカは頭が良いからかわいそうだ。

この人たちは豚と牛は食べないのだろうか?

もしも食べていなかったとしても
よその国の食文化に何を言っているんだ?
と色々な疑問が浮かびましたが、

まとめると
イルカは頭が良いんだからかわいそうだろ。
ということらしいです。

いやいや、むちゃくちゃな主張やな・・
ってなりますよね。

でもこの主張はある意味
正統なものなのです。

次に続きます。



海外の判断基準とは?


シーシェパードはおいといて、
海外の人たちはどのような目で
イルカの追い込み漁を見ているのでしょうか?

実はデンマークでもイルカの捕鯨漁は行われていて
これも残虐だとか言われています。

血の海だとか。

ですがデンマークのイルカ漁は認められています。
その国の大切な食文化なんだとか。

おいおいおいおいおーいってなるよね。

おっかしいだろが!

結局は日本だったら言うこと聞くんじゃねぇかな
とかいう問題だと思うんですよね。

「ザ・コーヴ」という日本のイルカ漁を
批判的にとらえた映画では

「イルカ漁ひどい!」ってなるんですけど、
デンマークのイルカ漁は
やってることは全く同じなのに
(むしろもっとすごい血の海になってる)

みんなイルカ漁でニッコニコなイメージ。

コレの差は何かっていったら、
デンマークはイルカ漁に対して
クリーンなイメージを自ら情報発信しているんですね。

実はデンマークもシーシェパードに
標的にされて抗議されてたんですけど、

いかにイルカに苦しい思いをさせずに
素早く処理するように努めているか、

イルカのお肉を食べることで
町のみんながどれだけ幸せそうにしているのか、

をDVDにしたりして、一生懸命情報発信しているわけです。

ですが日本はその性格から沈黙を決め込む。
言われっぱなしです。

そのためいいカモになってるわけです。

いいカモとは?
↑実はシェーシェパードさん、
何しにこんな活動をしているのか?というと

やっぱりお金になるからなんですよね。

もちろん、純粋にかわいそうだから!
という正義感の元動いている人もいるでしょう。

ですがこの団体には収入があるのです。

抗議活動、批判するだけで収入が?

どのような仕組みになっているかというと
簡単にいうと寄付です。

HPで活動資金を募っているのです。

そりゃお金がないと太地町に
長期間滞在なんて出来ませんからね。

パソコンからマスキングテープまで
欲しいものリストなんかを作ってHPに載せています。

つまりHPの閲覧者が増えれば増えるほど
寄付金が集まる
のです。

ではどうすれば閲覧者が増えるのか?

それは強烈な悪役をつくって
それを倒すヒーローになるのです。

人の心を動かす
過激な内容ってことですね。

自分たちをヒーローに演出しない
日本は悪役にぴったりです。

見事はまってしまいました。

太地町が悪者になればなるほど、
自分たちはヒーローになるのです。

シーシェパード自体は過激な活動を行っていて
世界的にも創立者が「国際指名手配」にされて
危険視されているので

ある意味浮いた存在ではあります。

ですが情報の発信力から
世界への影響が大きいため

事が大きくなってしまったようです。

知っておくべき本当の事

豚や牛が同じように食べられるのと
何が違うのかなんてことに
答えられる人なんているかな?

人間にも差別を受けている人は
たくさんいるけど、そっちはほおっておくの?

たくさんの疑問が浮かびますよね。

でも日本人は思うだけで反論しなかったんです。
行動しなかったんです。

裁判ではどんな凶悪犯にでも
弁護士はつきます。

凶悪犯が悪いという前提はおいといて
主張することが大事なのです。

双方の意見をしっかりと
聞いたうえで判断するのが裁判です。

世界のコミュニケーションは常に主張です。

日本人特有の「相手の気持ちを察する。」
は通用しないのです。

シーシェパードは純粋に
「目の前で家族が捕まるイルカたちを見て
可愛そうに思った」のです。

それに対して「何言っているだ。それよりも
他に考えなきゃならないことがあるだろ。」

とほおっておくのではなく、

なぜ残酷なのか?の理由を求めるのではなく、
なぜ残酷ではないのか?の根拠を
主張しないといけないのです。


ネコを乾かそうとレンジでチンして
事故が起きたら電子レンジに文句を言えるのが世界です。

コミュニケーションの取り方が
日本特有なのです。

私たちの感覚からしたら
考えられないですが、世界基準にあわすためには
戦わなければならないのです。

でも私は「察する」というのは
日本の良い所だと思っています。

今更主張の強い民族になんかなれないと思います。

なので解決策としては

今後またこのような思いをしない為に
世界と戦える日本の弁護士団体を作るべきだと思います。

日本人の中にだって主張の強い人はいると思います。

本当の弁護士さんでなくとも
日本の声になって主張する!

そんな団体を私たちは
作らなければならないのだと思います。


平成27年5月29日追記


この記事について
たくさんのコメントを頂いています。

皆さん、この問題について真剣に考えられていて
どれも丁寧なコメントを頂いています。

本当にありがとうございます。

そしてまだまだ勉強不足で
下手くそな私の文章を読んで下さって
本当にありがとうございます。

コメントはひとつひとつしっかりと
読ませていただいています。

今現在、世界各国の方々が
私が書いた記事よりもより詳しい情報を
書いてくださっています。

今このブログを読んで下さっている方へ、

ぜひコメント欄も合わせて読んでみて下さい。
とっても考えさせられます。

まだまだ私たち日本人はイルカ漁について
知らないことが多いのだと痛感しました。

ささいな意見でもいいですので
良かったらコメントで
あなたの意見を聞かせてください。

イルカ漁について、反対でも賛成でも
よく分からない、そんな中立の立場でも。

この記事を通して、
みなさんの意見を共有できればと思います。

イルカ漁の関連記事:イルカの追い込み漁の感想や意見!世界と日本との潜在的な意識の違いについて

人気記事です。あわせてどうぞ。
エコキャップ推進協会はなぜ寄付しなかったの?

週休3日制の国はどこ?どんな生活になるの?

週休3日制の影響は?デメリットは?どうせ公務員だけだろと不安の声


40 Responses to “イルカの追い込み漁はなぜ残酷と言われているのか?知っておくべき本当の事”

  1. 清掃員 より:

    イルカ漁については日本人の殆どが嫌悪しています。
    日本人は先進国で食余りなのですから、人が嫌がることはやめるべきです。韓国人が犬食することは、日本人は嫌悪するでしょ‼

    • 管理人 より:

      清掃員さんへ

      ご意見ありがとうございます!

      そうですね。
      私もはっきり言って、率先して
      イルカのお肉を食べようと思いません。

      ですが、イルカ漁を反対する世界の動きには理解できません。

      ちなみに以下に
      イルカの追い込み漁はなぜ残酷ではないのか?
      について参考になるかと思う情報をまとめていきます。


      ・1965年頃からイルカの群れが
      漁港を荒らしていて、漁師の方たちが被害にあっていた。

      ・その為、当初は音による威嚇や銃などで対策を打っていた。

      ・それでも一定の効果を得られなかったため
      やむなく、大規模なイルカの追い込み漁が行われた。

      ・イルカの追い込み漁については
      科学的な資源量調査に基づき、
      資源保護上問題のない範囲で許可を得て行っている。

      ・イルカの回遊数減少、つまりイルカによって
      漁港を荒らされることが少なくなった
      1986年を最後に大規模なものは行われなくなっている。
      (つまり不必要なイルカ漁は行われていない。)

      ・追い込み漁はイルカたちを無理に傷つけずに
      捕まえることが出来る方法である。

      ・出来るだけ傷つけずに捕まえることの出来るイルカ漁は
      世界でも有数の技術である。

      ・捕まえたイルカは追い込み漁によって
      怪我のないイルカも多いため、
      水族館などに売られ、人気者として活躍する。

      だが怪我をするイルカもいるため、
      その個体は食用に回される。

      また食用だけでなく、工芸品の材料など
      余すことなく利用されている。

      ・イルカ食については縄文時代から
      行われていた伝統のある食文化である。

      ・太地町に住む人のコメント。
      「クジラやイルカを食べて育った。漁がなくなったら困る」
      つまりこの町の人たち、イルカ肉を食べて育ってきた人達にとっては
      イルカ肉は牛や豚のお肉と同じ感覚で大切な食糧である。




      ここから私の個人的な意見です。
      ↓↓↓
      犬でも豚でも牛でも、肉を食べるということは
      少なからず「弱肉強食」の世界に身を置いているのだと思います。

      食文化にいちゃもんつけだしたら、
      もう草しか食べれなくなる

      っていうか草にももしかして
      命があるとか考えたら・・・

      っていうか水にも
      実は命あるんじゃね・・・?

      うわああああなんにもたべれねぇえええええ!

      と考えすぎたら頭痛くなるので
      今目の前にある食材に感謝の気持ちを込めて
      「いただきます」と言うしかない。

      ベジタリアンの方なんか
      徹底しててすごいですよね。

      私は健康の為にいつかは肉をたとうと
      思いますが、いつ実行できるやら、、、。

      ステーキ食べたいもんな~。


      ちなみに私が頭でその国の食文化だと分かっていても
      「痛めつけて恐怖を植え付けるほど美味しくなる」
      という考えの犬食はさすがに悲しい。

      • Yakimi より:

        はじめまして、フランス在住の日本人です。
        鶏、豚、牛とイルカの違いは、豚等は家畜として人間に食されるために人間が飼育している動物、イルカは野生の動物だということです。イルカ達は元々海に生きている動物で、本来人間は彼らとうまく共存していくべきだと思うんです。ある一定の地域の伝統的な食べ物で、その習慣を尊重するのであれば、その分だけ漁をして食せばいいんだと思うんです。私がフランスで「ザ・コーヴ」を観た時、こんな悲惨な事実を知ってショックを受け、怒りと悲しみで一杯になりました。血の海の中、棒でイルカの頭をめった打ちにしたりと残酷以外の言葉は見つかりません。
        デンマークのイルカの追い込み漁に関しても、ヨーロッパでは勿論反対運動、署名運動が起きています。
        日本に住んでいると、なぜ日本だけバッシングされるんだという反応が多いようですが、日本に入っている情報が全てではありません。
        イルカ、クジラは日本の何%が食べているんでしょう?
        世界中の反対を受けながら、こうした漁が続いているのは、誰かが大儲け出来ているからではなでしょうか?

        • いとう より:

          まず、事実誤認のまま批判するのは言語道断です。
          現在の屠殺方法はかつてより大きく変更されており、できる限り小さな苦痛で済む方法がとられています。
          今現在意見を言うなら今現在の方法の何がいけないのかをきちんと明示すべきです。

          また、家畜はいいが野生の動物は殺すべきじゃないという意見も全く根拠がありません。
          食べ物には困らないが自由も無く最後には100%殺される生活と、本来の野生の自由を堪能した上で捕獲・屠殺から逃れるチャンスも与えられている生活と、どちらが残酷か。
          捕食者である我々人類が手前勝手に断定できることでしょうか?私からすると批判者たちの浅薄さが浮き彫りになって見えます。

      • timeless より:

        ベジタリアンの何が凄いのですが?
        お肉がカラダに良い部分だって沢山ありますよ。

        健康関連も沢山間違った情報がありますので、お気を付けて。

  2. 山本五十八 より:

    清掃員さんの意見に反対です。イルカやクジラを食べる事を殆どの日本人が「嫌悪」してるなどと、適当な事を言うのはやめたほうがいいですよ。若い人は知らないだけで、昔は給食にもクジラの肉が頻繁に出されていました。イルカでさえも、あの頃は時々出てきました。
    食文化の多様性を認めるのはそういう事を全部理解する事から始まります。
    日本では今でも色々な者が食べられていて、ヘビや蜂の子まで立派な食文化のとして残っています。
    世界では、例えば鯨漁に反対しているオーストラリアでは、カンガルーの肉が普通にスーパーで売っています。
    あなたが普通に食べているハンバーガーやチキンだって、よく見れば動物にとって劣悪な環境で飼育された肉なんです。
    どんな生き物でも、殺されるのを考えたらいたたまれなくなるはずであって、どの範疇の生き物だったら殺しても良いということにはなりません。その意味で、人間は罪深き生き物ですが、野生の動物は必要以上に狩猟をしたりしません。
    あなたの意見は実に偏狭でエゴに満ちていると言わざるを得ません。あなたは単に自分が食べないから必要ない、、、という事で、エゴイズムの代表的なものです。
    その考え方だと、そのうち人類は栄養ドリンクしか摂らなくなります。
    もともと、食文化が浅い、もしくは無いに等しい西洋社会では、東洋の、特に日本のような深い食文化を理解できないのです。だから彼らが日本に来ると日本の食べ物が世界一美味しいと気づくのです。
    私は、世界中を仕事場にして30年以上経ちますが、どの国より日本の食文化が素晴らしいと実感しています。
    素晴らしい食文化を生み出す為には多様な食文化が必要なのです。
    「清掃員」さんももっと世界を勉強しないといけないと思います。そして我々日本人ももっと自分の国を知って、世界に羽ばたかないと、そのうち世界中から馬鹿にされると思います。

    • イルカは友達 より:

      では人間を食べる国があったらあなたはその考えを肯定出来ますか?
      私はイルカを食べる事を反対される方、賛成される方どちらも正しいと考えます!つまりこの質問に答えは無いのです!ただ間違えは自分の考えと反対の考えを否定する事だと私は考えます。

  3. ととまと より:

    山本五十八さんの意見に反対です。清掃員さんの意見に賛成です。

    私も給食でクジラを食べた世代ですが、食べなくてすむ今は幸せだと思っています。
    つまりね、今は「タンパク源がそれしかない」時代ではないのですから。

    清掃員さんの意見がエゴに満ちている・・・!?
    その考え方だと、そのうち人類は栄養ドリンクしか摂らなくなる・・・!?
    私はそうは思いません。

    不愉快に思う人がいるなら、止めるべきでしょう。

    ヨーロッパの文化なのでしょうか、ジビエ料理とかいって鹿やウサギの肉も流行っているようですがやはり感心しません。
    そして南の島ではコウモリを出す料理店もあるよですが、別の意味で気持ち悪いですよね。でもコウモリとイルカでは意味合いが違ってきます。
    つまり「気持ち悪い」の意味が違ってくるのです。

    昔は電車の中でも喫煙がOKだったけど、今は当然NGですよね。不快に思う人がいるなら止めるべきだと思います。
    それで生計を立てている人には申し訳ないけど、そういう時代がきたんだと、他の漁をしてもらいしかないです。

    それから、確かに日本食は世界一優れているけど、イルカの肉を食べたいと思う日本人はいない、という事を再認識してください。
    私も30年以上、よく海外に行きますが、外人に聞かれる度に「イルカの肉なんて見たこともないし、食べたこともない」と説明しています。
    これは本当。
    私は日本人ですが、日本人がイルカを食べると知ってショックでした。
    ・・・本当は、昔ある港の市場で1度だけイルカの肉を見かけたことがありますが、悪い夢であってほしいと願いました。

    • わかんないけど。 より:

      ととまとさんの意見もどうなのでしょうか^^;
      不快に思う人がいたらやめるのなら動物は何も食べられなくなるんじゃないでしょうか?
      それにイルカの肉を食べたいと思う日本人はいますよね?
      あなたにしても清掃員さんにしても自分が必要ないからと意見を押し付けているだけじゃないですか・・・。
      私は豚肉も鶏肉も牛肉も食べる人をみると不快に思いますが、ととまとさんは食べるのやめてくれますか?

      だれが考えるのか、自分たちがかわいそうと思うからあなたたち食べないでねと言われましてもね。
      他人の文化や習慣を受け入れられないもしくは理解できない人がエゴイストだと私は思います。

      山本五十八さんの言うとおり栄養ドリンクだけになりそうですね・・・。

    • トムヤムクン より:

      ととまと への返信

      私は牛も豚も鶏も食べません。
      それらをもしあなたが食べているなら、あなたは御自分の意見にそって、それらを今後食べないでくださいね。
      私が不愉快になりますので。

  4. こじま より:

    ととまとさんにおおむね賛成です。

    隣国の犬食では日本でもそれなりに記事になりました。
    現在どのような状況かは存じませんが、とても少なくなったのではと思います。

    漁やと殺の方法が残酷かどうかは、民族間ばかりか、人それぞれで感覚が違います。捕れたマグロの脳天をすぐにたたいたり刺したりするのはどうでしょう。鶏を生きているうちに羽をむしり、その後、首を落とすのはどうでしょう。食べたことはありませんが、フォアグラはどうでしょう。
    ”あそこでもやってるのに、どうしてうちばかり言われるの!!”というのも、ちょっと違うんじゃないかと思います。
    私自身はクジラやイルカを食することがいけないとは特には思っていませんし、昔食べた(給食にも出ていた)クジラは硬かったけどおいしかったという記憶があります。
    でも、ととまとさんのおっしゃるように、時代が変わってきた、のではないでしょうか。

    でも、特定地域の文化としては残しておいてもいいんじゃないかと思います。

    日本では一般人が武器として刀剣を所持することは犯罪です。でも、刀鍛冶はいて、刀作りも文化として続いています。
    たとえとしてはふさわしくないかもしれませんが、いかがでしょうか?

    経済的なことではなく(全く経済なしというわけにはいきませんが)伝統、文化として別の残し方を考えたいと思います。

    そして、不快に思う人が増えてくれば、無くしていくこともやむをえないのではないかと思います。

    小さいころは、何も考えることなく、当たり前にカエルや魚、虫を殺していました。今では本当に”悪いことをした”と思っています。時代が変わらなければ、そうは思わないかも知れませんね。

  5. エコ=エゴ より:

    エゴイストなかたは、じぶんが正しい、正義だと思ってるから、タチが悪い。

    論理的に話しができない。

    自分が嫌だと感じるものは、悪。
    イルカだろうと、コウモリだろうと、芋虫だろうと、カイコの蛹だろうと、食べたい人がいるから、食べてるのがわからない。

    不愉快な思いをしてる人がいるから、やめた方がいいっていうけど、
    愉快に思ってる人がいるんだから、余計なお世話です。

    イルカの話題にかこつけて、安っぽい正義感を振りかざして、実際自分では何も行動しないなら、イジメを見て見ぬふりをしてるのと同じで、同罪。

    納豆は、臭いから食べたくないっていうのと同レベル。

    ほんとに人の話をきかないし、地域の文化を認めないし。

    白人は、黄色人種よりイルカの方が、白くて自分達に近い高等生物だと思ってるから、下等な日本人に同胞が殺されるように感じて、生理的に嫌なんですよ。

  6. ぴーす より:

    皆さんの意見ひとつひとつがとても大事だな、って思って読みました。ブログ主さんがこのような記事書いてくれて、とても良い機会でした。ありがとうございます。私は在米20年になりますが、ほぼ毎年日本に遊びに帰ります。世界的に色々な人と色々な国で仕事をして来ています。そして鯨類から、動物生き物が大好きです。

    そして、身近に世界の鯨の保護団体や、動物保護団体などの活動を活発にしている人たちが沢山います。なので、ある意味「日本の敵」と言いたくなるような鯨保護団体のような人もいます。シーシェパードではないですが。。
     彼らがまるで日本は残酷だ、というような言動をすると、私にとっては心が痛いのです。「そんな事は無い!秩序を持ってしっかりと自然や命に敬意を払い、ありがたいと思いながら大事に頂いている、という意識を持っているのが日本人で、虐殺や残酷だ、などとひたすら批判するのは間違っている」と、主張したくなります。実際、日本人の私達はそう信じています。なので、私はあくまでも一般的な日本人の気持ちをしっかりと彼らに伝えています。
     そして、シーシェファードのやり方が、日本人にとっては非常識で理解しがたく、許しがたい方法でもある、それは文化的な問題であり、その辺はいくら海外から見ておかしいといわれても、日本のありかたとして最低限の敬意を払って欲しいと私は主張します。そして、捕鯨はやめろ、というメッセージを送りたいなら、暴力的に、不法的に、敬意を払わない方法じゃなくて、公平で、その国の文化や歴史を尊敬しながら正しい方法でやるべきだ、と伝えます。ブログ主さんが言うように、シーシェファードの様な団体や世界は、ただ「大好きでカワイイイルカが残酷に殺されているのを見てかわいそう。護りたい!」と思ってるだけなのです。でも不当なやり方で自己主張をされると、日本人からすると、あつかましくいやらしい団体だ、と思ってしまいます。それでは全く彼らのメッセージが日本には伝わりません。
     そういった討論をしていると、やはり気が付かされます。日本人の捕鯨に関する知恵の少なさです。一般的にあまり捕鯨に関心を持つ人が日本に少ないと思います。なので、興味があるブログ主さんの様に自ら色々調べないと情報が入ってきません。世界も同じようなものですが、私は彼らの鯨類をこよなく愛する人たちの世界の捕鯨に対する知恵を聞いていると、自分の無知さが出てしまい、途中でなかなか自己主張が出来なくなります。私はまだまだ勉強することがいっぱいなので、大きな口は叩けません。(そこがまた日本人なんですが)
     日本の「世界の規定に従った、基準内の捕鯨しか行っていない」と言う主張は全てが全て事実では無いという真実を知ってみると、痛い気持ちになりました。でも現実には目を向けなければなりません。日本はそんな嘘をついたり規定を破ったりする国ではない、といいたいですが、それをはっきりいう事が出来なくなりました。一体どの情報を信じたらいいのかもわからなくなります。でもどの情報も存在する理由はあると思いますし、全てがでっちあげとも思いません。私は日本人であり日本人の意見を持っていますが、海外に住んで長いうえ、世界中の人とつながっていて、日本外からの視点も持っています。なので、どちらの視点からもこの現実を見ています。だからこそ心が痛いのです。世界の国々が日本の捕鯨やイルカ猟を反対する理由もわかるのです。でも日本の主張や日本人の気持ちもわかるのです。
    不完全ながらも私が思うのは、イルカ猟は、伝統を護るため、という視点は理解できますし、それを「やめろ」などと言う事は出来ない気もします。猟師さんたちの生活があるのもわかります。そこの地域の人たちの中で小さくイルカ猟を昔ながらの方法でやるなら、それはそれで伝統として見れないか、、、と思います。でも商用に売ったり、地域の人たちの枠を越えて、日本中や海外にイルカ売りさばくのはどうかと思ってしまうのです。イルカ達は見せものとして活躍している、、、それはあくまでも人間の視点であり、イルカからすると商用(見せ物)に無理やり使われている、ともいえるのです。
    他の方達が書いてらっしゃる様に、現在の世界は、国々が共存しています。貿易を行ったり、相談しあったり、災害が起きれば助け合ったり、音楽やファッションが行きかったりと、世界はつながっているのです。だから、「日本はこうだから」と自己主張だけで通らない世の中になっているのです。私は日本人として誇りをもっているし一生日本人として生きたいです。なので、どんなにこのイルカ猟に対して偏見を持っている西洋人に会っても、私は日本人としての視点もしっかり主張します。でも「日本はこうだから」とだけでは終わりません。ちゃんと彼らの言い分も聞いて理解してあげたいのです。日本も世界と共存しているのです。だから協力し合ったり、理解しあわなければならないところがあります。世界が嫌がっていたら何かを変えていかなければならないのです。長く書きましたが、私は日本国内の方々の声をこのブログを通して聞くことが出来てとても嬉しいです。その声を海外の鯨類保護団体の人たちにも伝えていきたいです。お互いを理解した上で、一緒にどう協力し変えていくか、というのを私はテーマにしています。彼らが一方的な意見をぶちまけてるときは指摘してやります。世界からの一方的な偏見を受けるのは私も日本人として受け入れがたいものです。私は争いを信じません。だから争いの無い活動をしたいです。海外に住む日本人として、そして私は鯨類をこよなく愛するものとして自分が出来ることは小さい規模でもしていきたいです。

  7. 魚と同じだった。 より:

     私はイルカを食べている地域に住み、今でも年に数回は食べている者です。こういったら、外国人の方だけでなく、イルカ食を嫌悪する人から▲されそうですね(苦笑)。

     これはイルカ肉がとても好きで食べているわけではないので、食べるなといわれれば食べないようにすることはできます。ただ、80代になる母が好きで、スーパーで売っていると買ってきて、ゴボウや蒟蒻とともに味噌煮にして食卓に出します。それをそのまま受け入れて食べているので、年に数回食べているわけです。
     つまり、昭和ひと桁生まれの人は、子供時代、肉食ではなかった食生活を体験してきており、食糧難であったことからイルカや鯨を食べてきた時代なのです。もともと日本人は四足は食べてはいけない、または屋内で煮炊きしてはいけないとされてきたため、イルカが哺乳動物であるという意識は当時はなく、とにかく海に生息している「魚」として食べてきたのです。牛豚の肉が広く普及して食卓にあがるようになるのは、やはり戦後からではないかと思います。今では、いろんな情報がありますから、母はイルカが賢くてかわいい生き物であるということは知っていますが、食材に対してそういう意識はまずないと思います。そのかわり、普段から鶏肉は食べますが、牛や豚はそんなに食べていない傾向にあります。

     私たちの地域では、イルカの捕獲方法も太地町が行なってきた方法とほぼ同様で、湾に追い込む漁法でした。昭和30年代まで行なわれたと聞いています。なので、漁の行われた海岸には「大魚供養碑」(大魚=鯨やイルカ)が建てられている場所が何箇所かあります(それぞれ江戸時代~昭和30年代まで年号が刻まれています)。そして現在でも毎年お盆には、漁協が主催して僧侶が供養をしている地区もあります。大魚供養の塔婆もイルカ漁がなくなった今でも毎年新しいものを建て、供養碑のそばに建てています。
     捕獲したイルカの頭を叩いているのを残酷だと思うのでしょうが、これは漁師さんたちが「締める」といって、一発で即死させるために急所を叩いているのです。これはマグロなどの大型回遊魚を同様な方法で締めているのと同じです。

     我々が命をいただくためには、手をかける役回りの人が必ずいるわけで、肥育させて出荷する牛や豚だとしても、育てる畜産家では丹精こめて可愛がって育てています。なので、出荷するときには牛もわかるのか、鳴いてなかなかトラックに乗らなかったり、それを見て人間も別れが悲しくて涙を流していたりもします(すべてがそうではないにしても)。
     野生であってもなくても同じ命です。

     今は食材加工の分業化が激しく、殺す場面をほぼ見ることがありません。だから、血だらけの場面=ショッキングで酷いと思うかもしれませんが、肉をいただくためにはそれを誰かがやらねばなりません。
    そういう人や場面のことをみなさんは考えていますか。おそらくないでしょう。肉屋やスーパーに並んでいる肉を「ただ食材としての肉」として見ているからおいしそうと思うのです。

     さらに、イルカはイカが大好き。イカ漁の漁船にとっては漁を妨害する天敵となっています。定置網を食い破り、生産の場では被害も受けているのも事実です。
     現在、陸では猪や鹿による農作物の被害が大きいため、県が猟友会に依頼をして駆除が行なわれています。書類を見せてもらうと、2500頭の駆除をうたっている年もありました。
     私は猟友会の人に同行する機会があるので、獲物を仕留めるところを見て、解体をするときはなるべく見るようにしています。
     本音をいえば、平気ではありませんが。
      
     

  8. ブンブンバード より:

    食文化の異なる人へ自分たちの文化を説明しても理解してもらえないのは自然です。
    説明の中に正当性を主張することは無駄な努力と思います。

    彼らの中の一番気がかりな主張は「知能があって、かわいいから・・・」と言う事です。だからそれを殺すことは残酷なこと・・・

    この考え方はアメリカはじめヨーロッパ諸国の人たちの血の中に流れている非常に危険な考えだと思います。

    かつて、「あんな可愛いイルカを殺す日本への公演はやめる・・・」といったアメリカ人気歌手の主張もそうでした。
    知能の低い者(と決めつけた)人を差別するのは、植民地、アパルトヘイト、奴隷など、人種差別は長い歴史の中で続いてきました。      
    その考えが日本人に対する感情の根底にあると考えると恐ろしいことです。
    食文化が・・・、ほかの国でもやっている・・・、等の議論は彼らにとっては意味のないことです。
    日本人がやっているから潰すのだ・・・と言っているように聞こえます。

    そして、このことを進めることによって、だれら利益を受けるのか、(儲かるのか)を注意深く見てゆく必要があります。

  9. henhenhen_ojisan より:

    イルカやクジラを食しない民族へ牛や豚を屠殺することの矛盾を訴えても効果ない。イルカやクジラを殺すなと主張することは彼らにとって何の支障はない。かわいいからという言い訳が通用するわけです。
    イルカを完全養殖にすれば近親交配の問題は遠からず発生する。文化に違いに起因する問題を仲裁する国際機関はない、と思います。同じ土俵で戦うためにSSのような団体を作ってアンチSSと称してクジラにはSSに対抗し、イルカ捕獲は優しくとらえて愛情持っているかを太子町の人がハグしながら水族館へ送るドキュメンタリーを撮ってばらまくことです。要は国際的なプロパガンダ戦を仕掛けないと 犬の遠吠え では?

  10. SAI より:

    イルカや鯨漁に反対してるってただのレイシストだろ?
    だいたい反対している理由が意味不明だ。
    「人道的にかわいそう!」???
    人道的な漁があるなら逆に聞きたいものだ。そもそもイルカに人道的とはこれいかに?
    「イルカは知能が高いんだ!」???
    だからなんですか?牛や豚を食ってるのは頭が悪いからとでも言うつもりですか?
    「牛や豚は飼育されているからいいんだ、イルカは野生の生物だからダメなんだ!」???
    じゃ~イルカも食用に養殖したならば文句は無いとでも?そもそも「人道的」というならば食用として育てることは人道的にOKなのか?
    って話だ。
    「不快に思っている人もいるんだから止めるべき!」???
    意味がわかんないですね。他人もしくは他国の人からみたら不快な食べ物なんてそれこそいくらでもありますよ。
    イスラムの人たちは豚を食べないから、インドの人は牛を食べないからといって豚や牛を食べてはいけないとは言われませんよね?
    それは宗教的や習慣的に自分たちが食べないからであって宗教的、習慣的に食べることに問題がない人が食べることを問題にはしません、それは他国、他人の文化を尊重してくれているからなんですよ。
    自分たちが食べないからと言ってそれを押し付けるな!
    人はあらゆる生物を乱獲し絶滅させてきた、その反省に立つ現代のわれわれは野生生物を捕食、捕獲する時にはよくよく注意する必要は確かにある。
    だがクジラは兎も角、イルカに関して絶滅するような漁はしていない。

    この件に関して是非やってみてもらいたいことがある。
    イルカを食料として養殖を実際やってもらいたい、そして赤ちゃんから育てたイルカをTVで写し「これらのイルカは食用として育てられていて子供のイルカの肉は柔らかくておいしいんですよ~」などと言ってみてもらいたい。
    「養殖はOK、野生はダメ!」と言っていた人がそれでもOKと言えるか聞いてみたいものだ。
    食用として飼育されていても命の方がよっぽど残酷なんだって気付くんじゃないのか?
    「いただきます」と手を合わせる所作は食物となったあらゆる命に対しその感謝の気持ちをあらわすことだ。
    「神様ありがとう」の欧米とは命に対して向き合い方がそもそも違う、「頭がいいから」「可愛いから」と命に優劣をつけていないからこそ納得できないんだよ。

  11. さーくん より:

    韓国人から「犬を殺して食べろ!」や、中国人が「猿や猫を殺して食べろ!」と、強制されたら反対しますが、その国の人達の食文化でやっていることに対して、他国が文句をつける事は明らかにおかしいという事です。

  12. 頂点捕食者の驕り より:

    頂点捕食者(最終捕食者:Top-level predators) 捕食とは、ある生物を食べること(一つの生命の殺害とその生物の消費)である。(ウィキペディアから引用)

    人間は植物や動物の体を食べて自分の体を作っている。
    それ以外に方法はない。
    植物は光合成で自分の体を作り、草食動物はこれを食べて自分の体を作り、肉食動物は草食動物を食べて自分の体を作る。
    植物>草食動物>肉食動物の流れが食うか食われるかの関係を作っている。
    例えば、草の葉をバッタが食べる→バッタをカマキリが食べる→カマキリを小鳥が食べる→小鳥をタカが食べる……といった生物間のつながり(食物連鎖)がある。

    植物は日光を利用して二酸化炭素と水から炭水化物を作り、それに窒素やミネラルを組み合わせてタンパク質と脂肪を作る。ヒトは食物連鎖の最終段階にいて、下位の動植物の体を食べて生きてゆく。光合成ができないヒトはそれ以外に自分の体を作るすべがない。(頂点捕食者)

    われわれの体は水と栄養素(炭水化物、タンパク質、脂肪、ミネラルとビタミン)からできているが、他の動植物の体を食べてそれを作り、自分の体と子孫の種(卵子と精子)を作り出してゆく。
    母親の胎内にいる胎児は羊水を飲んで尿を排出する。羊水中のアミノ酸は母体から分泌されるが、胎児の栄養の一部に取り込まれる。
    出生後の哺乳動物の赤ん坊は母乳を飲んで自分の体を作るが、母乳は母親の血液とよく似た成分の母体の一部だから、胎児も乳児も自分以外の動物の体を食べて育つことになる(いかなる菜食主義者もその発育の始まりは肉食だ)

    生物発生の歴史
    46億年前に地球誕生。
    40億年前に原始生命誕生。
    10億年前に多細胞生物が誕生。
    現在のヒトは20万年前に誕生。

    原始的な単細胞生物は口がないので、体表から他の生物を取り込んで成長する。(イメージとしては白血球がバクテリアを体表から貪食する)
    多細胞生物に捕食する口ができたのは10億年前で、食物連鎖はこの時から飛躍的に効率的に、強固に発達する。

    現代人は40億年間の捕食のおかげで今日があるといえる。

    捕食は下位の動植物の体を食べて自分や精子や卵子(将来の子孫の体)を作るのだから、文字通り「弱肉強食」という生存競争の結果、今日の人類があるといえる。
    40億年間も弱肉強食を繰り返すことができたのはこの本能がDNAとして組み込まれていたからだ。

    全ての人類は、私も貴方も誰もかれもが弱肉強食のナレの果てであるといって悪ければ、弱肉強食のおかげで存在している。例外は一切存在しない。
    弱肉強食の食物連鎖を否定することは自分の存在を否定することになる。

    どんな聖人君子でもコメやパンを食べるだろうが、これらは植物の死骸の加工品である。
    酒は植物の死骸を発酵させたものだ。
    紅茶やコーヒーは植物の死骸を熱湯で抽出した成分だ。
    胃瘻のように、捕食は口から食べるだけとは限らない。
    喫煙は植物の死骸を加熱加工して得られる煙を肺からとりこんでいる特殊な捕食である。
    輸血や臓器移植は口を通さない食人だ。
    ヒトプラセンタ(胎盤エキス)を皮膚に塗る、点滴する、注射するのは、一種の食人だが、これは平成15年7月まで一般に流通していた。
    一部の食品添加物として利用している石油製品も100万年前の生物遺骸に由来する。

    これからが本題。
    食物連鎖の下位生物を獲得しなければ餓死する運命にある人類は、集団でその獲得に狂奔する。そのほうが効率的だからだ。
    飽食欲望にはキリがないから、食物以外のエネルギー資源も奪いあって侵略戦争がおこる。
    領土拡張はそこから得られる食物資源とエネルギー鉱物資源の収奪が目的だ。
    侵略戦争は弱肉強食の一つの具象形態だから、将来もこの地上から消えることはない。
    もし消えるとしたら、人類は生存本能を失う結果なのだから、滅亡する。

    いっぽう弱肉強食が過ぎても人類の数が減って衰退するから、この本能に適度にブレーキをかけて殺し合いを抑制しようとする。

    それが宗教だの法律だの国連だの人権運動だの平和音頭だの動物保護団体だの、さまざまな工夫を生む。
    現代の侵略戦争はそのスピードと破壊力の凄まじさでこれらのブレーキをほぼ無効にしている。

    40億年まえに組み込まれてから今日まで切磋琢磨してきた捕食本能を、たった20万年前に生まれた人類がどうあがいたところで消し去ることはできない。もし遺伝子操作で捕食DNAをいじくって消し去ったらその時が人類滅亡の開始となる。

    終わりに
    動物は個体維持のために食物を食べるが、その種類や様式(食べ方)は動物の種類によって異なり、非常に多様である。
    ある動物の食性について、これは残酷だ、これは長い歴史がある、これは食文化だからとかいう議論はそもそも意味がない。
    40億年を一年にすると20万年は26秒に過ぎない。
    40億年前に生まれた単細胞生物が人類に進化する過程で、切磋琢磨して鍛え上げた弱肉強食の習性を20万円前に生まれた人類があれこれ批判しあうのは、頂点捕食者の思い上がりというものだ。
    40億年の例外なき実績をもつ弱肉強食を考えれば、生後20万年の人類がどのような理屈をこねようと、その理屈は弱肉強食がもたらした頭脳のアウトプットに過ぎない。

    そもそも、残酷なことをしてきたのはそっち側(欧米)ですとか、好きだから、嫌いだから、残酷だから、気持ち悪いから、不快だから、かわいそうだから、家畜だから、野生だから、人道的でないから、経済的被害があるから、長い伝統だから、食文化だから、世界中が反対だから、という理由付けは相対的な正義のぶつけ合いだから、それをやって気がすむならいつまでもやっていて構わないが、その正義とやらを相手に押し付け合うのは滑稽である。その押し付け合いそのものが弱肉強食の振る舞いなのだから。

    今回のWAZAの言いがかりは弱肉強食の強者が弱者に自己主張を権力【暴力、筋力、金力、情報力、組織力】で押しつけたに過ぎない。
    つまり、問題の解決にはほど遠い。

    Foul is fair and fair is foul (マクベス第1幕;魔女の言葉)
    「大海の水を傾けてもこの血をきれいに洗い流せはしまい?緑の大海原もたちまち朱に染まろう」(王を殺し血に染まった自分の手に恐怖するマクベス)

  13. クマ より:

    とても勉強になる記事とコメントをありがとうございます。一つ一つ拝読いたしました。

    私はミッション系大学に通い、巫女をしていて、今は娘を育てています。
    イルカの追い込み漁の問題に限らず漠然と感じるのは、欧米では知性があることが「神に選ばれた人間」であることの証明である、との意識が根底にあるということです。
    だから、知性のある動物は尊重されなければならない、と考えます。その区別がない文化を、野蛮とみなす意識もあります。

    なので、知性のあるイルカを殺す事の説明として、「かわいそうかどうか」「残酷かどうか」ではなく、「自分達にとって止むを得ず必要なコトだ」と説明できる状態にしなければ、説得力に欠けてしまうのでは。

    不必要な漁はしていないと、数値できちんと示すこと。今の漁のあり方を発信すること。
    上手く英語で書けなくても、数字と映像なら伝わるのでは…と思います。

    一個人としては、娘には食べることで命を頂いているということ。動物には(もしかして植物にも)感情があり、感謝し、尊重すること。様々な文化があることを教えていきたいと思います。

  14. 頂点捕食者の驕り より:

    たいして面白くもない私のコメントを読んでくださり、ありがとうございます。

    コメントを拝読しますと、
    イルカには知性があるので、尊重しなければならない。
    殺すには相手を納得させるだけの説明がなければならない。
    という要旨のお話かと思います。

    これについてのコメントを以下に述べさせていただきます。

    私は、知性があるなしなしにかかわらず、また動物であるか植物であるかにかかわらず、自分の生命維持のために、生物の生命を奪うことは人間の原罪(もって生まれた罪深さ)だと思っています。

    私は欧米に住んだり教会に通ったりした経験がない野蛮人なので、「知性があることが神に選ばれた人間であることの証明である」かについては、わかりません。
    以下に主としてウィキペディアからの引用を述べます。

    知性については、哲学者・真下真一さんの著書からの引用ですが、
    知性とは、<真実を真実としてはっきりさせる力であって、価値の問題には関わらない。それは純粋な知識としての知識であるだけだ。知識には一面性、断片性、抽象性が付きまとう。>
    要するに<知性は純粋な知識である>ということです。
    <価値の問題には関わらない>ということは<真偽・善悪・美醜の判断には関係ない>ということです。
    これは後で「原爆の発明」という大問題に直面します。

    いっぽう理性については真下さんによれば、

    <理性>とは<知恵>の力のことです。
    理性とは、全体を見渡してバラバラな知識を統一と総合に導く<精神>の力のことだ。<理想>を立てこれに向かって現実を整え、導いてゆく力のことだ。

    まとめてみますと、
    知性は「知識」で真偽・善悪・美醜の判断はできず、一面的、断片的で具体性を欠いた性質。大まかでバラバラでまとまりを欠いている。

    理性は「知恵」で知識を全体的に統合し、理想を立てて導く精神の力。

    知性は理性の力で善い方向にゆくか、悪い方向に向かうかが決まる。

    ドイツの哲学者・神学者・数学者・枢機卿だったニコラウス・クザーヌスは、<知性>の特性を《知性は淫売婦のようなもの。誰とでも寝る》と表現しました。
    知性はほっといたら悪い方向に走りかねないぞということです。

    そのいい例が原爆の問題です。
    原爆や水爆を作った<知性>や技術はとんでもない悪事に加担しました。
    理性のコントロールを欠いたためです。

    したがって知性は常に理性によってコントロールされていなければならない、理性は知性が赴く方向を決める<ハンドル>でなくてはならないのです。

    知性も理性も人間には欠かせないものです。

    理性を伴わない知性はハンドルのない車で、とんでもない方向に走ってしまう。
    知性を伴わな理性はガス欠の車で、動かない。

    私はイルカには知性のカケラがあるとは思いますが、理性があるかどうかはわかりません。

  15. k1s より:

    「嫌がる人がいるから食べないほうが良い?」

    肉自体を食べない人からみれば豚や牛もNGです
    知能の件でも牛や豚も飼うととても賢くかわいいです

    ネイティブのエスキモーには捕鯨・鯨を食する事は認められています。
    鯨や海豚を食べる事は日本の食文化の一つです
    世界に対し日本の発信力が今一つなのかも知れませんが
    上手に発信し守るべき文化だと私は考えます。

  16. fuck より:

    反対されてる方の意見見てると、明確な回答は誰も出来てないですね。

    出来てないというか、無いんだよね。

    可哀想とか不愉快だからとか理由にならないしね。

    世界にはその国々、地域によって伝統的な食文化てあるから。
    その地域の人じゃない人に何が語れるのかね。
    絶滅するかもしれないなら辞めるべきだけど、必要とされる分を捕獲、子供は逃す、こういう事をやってるんだよ彼らは。

  17. 大切なことなので何度でも言います。 より:

    イルカ漁への反発は感情論でしかなく、その感情論を相手取って抑え込むには相手の主張を分かった振りをして、「でも、こういう理由でやっているんだ」と説明して丸め込む事なんだろうねぇ。つまりはわざわざ相手に合わせてやらないといけない。

    記事でも触れられていたけれど、デンマークのイルカ漁はそこら辺を上手くやったようだし、やろうと思えば出来ない事ではないんだろう。

    記事やコメントを見て拾った情報をまとめると
    ・イルカは害獣であるから数を減らす必要がある。
    ・しかしただ殺して捨て置く方がよっぽど倫理的によろしくない。
    ・なので傷の少ない個体は水族館へ、それ以外は食用として頂いている。
    (上記二つは狩猟民族的な考えになるだろうから菜食主義者()には分かってもらえないかもしれないが)
    ・食用として地元で流通したイルカ肉を食べ慣れている人にとっては故郷の味ともいえる食材である。
    ・イルカの頭を叩くのは弱点を突くことによってなるべく楽に死なせるためである。(イルカが暴れることによる漁師への危険を軽減する目的もあるだろうが)

    といったところだろうか?
    つまりは害獣を処分したうえでその遺骸を責任をもって処理しているだけの話なんだろうがなぁ。
    食べるのがダメなのであれば、殺すだけ殺して捨て置くことになるんだがなぁ(イルカは害獣)

  18. 通りすがり より:

    一つ一つ拝読しました。


    思うところは、補食、調査、飼育のためなら良いのではないでしょうか?
    良くない殺生と言うのは何も利用しないただ命を奪うだけの『殺戮』なのでは?

    そこにかわいそうだからとか嫌だからって感情は必要なのでしょうか?


    自分は肉も野菜も魚も大好きです。種類も問いません。
    勿論、鯨や海豚、鹿や猪も食べてますしとても美味しいと思います。


    だから食材になってくれた命に対して『いただきます。』は欠かしません。

    食文化ってそういうものでは無いんでしょうか?

    食べるために生き物を殺すことをかわいそうと思うのならそう思った方は絶対に命を奪わないでほしいです。

    厳密に言えば植物も生命だと思うので難しいと思いますけどね。

    • みんな真剣 より:

      私もそう思います。
      うんうん。そうそう。
      って思いました。

      命をいただいて生きてる。
      感謝して、何でもいただきます。

      うちは裕福ではないけど、色んなもの色んな国のもの少しずつでいいから子供らに食べさせてやりたい。
      色んな文化を知ってもらいたいです。

  19. 大阪市民 より:

    生き物全てに生への執着があります。これは何人も否定出来ないでしょう。その事についてジャッジして何になるのでしょう?現在でも屠殺は手作業と思いますが従事されている方は地獄に墜ちますか?そんな事はありません。残酷だから?では鯛の活け造りは?白魚の踊食いは?フォアグラは?解決不能の事ばかりではないですか?卑屈になることは全くありません。堂々と反論すれば良いのです。外務省のヘタレ役人には出来ないでしょうけど。

  20. 頂点捕食者の驕り より:

    以下は前回のコメント:「イルカに知性はあるけれど、理性があるかどうかはわかりません」の続きです。

    結論から最初に申しますと、イルカには「理性」があるように思えます。

    <大井 玄 著:呆けたカントに「理性」はあるか:新潮新書>
    によりますと、
    理性について、デカルトやカントは「人間の理性は人間だけに限定された、言葉を操って思考する能力である」と言います。
    これはたぶんデカルトやカントは人間以外の動物には言語能力がないと考えていたからではないでしょうか。

    これに対して、イギリスの哲学者ディヴィット・ヒュームは、「理性」とは「自分が置かれた状況を把握し、それに応じて冷静に判断し、選択をおこない、適切な行動をする能力である」としました。
    たんに思考するだけでなく、適切な行動にまで導く能力です。

    ヒュームは人間も畜類も自然の一部であり、思考と理知を備えていると考えました。
    多くの動物たちは仲間うちでたがいにコミュニケートしあう手段があるように見えるので、ヒュームの説のほうが説得力があります。

    動物の理知能力について、進化動物学者の長谷川寿一・真知子教授は次のような例を挙げておられます。

    アフリカ・ケニアに住むシロビタイハチクイという鳥の6割は、性的に成熟した後も、独立することなく、親元にとどまり、子育てを手伝うヘルパーになるそうです。
    ヘルパーが自分の後から生まれた雛たちに餌を供給することで、幼鳥が若鶏にまで成長する確率が格段に高くなります。
    自分が産んだ赤子を放置したり捨てたりする動物がいるのを思うと悲しくなりますね。

    ヘルパーになるべきかどうか、誰を助けるか、何をして助けるか、いつまで助けるか、などの意思決定をするのはまさにこの鳥がそなえた理性の能力です。

    ティラノサウルスの理性
    現在知られている限りで史上最大の肉食恐竜で、約6550万年前の地上で頂点捕食者として君臨したティラノサウルスは、出土する化石から当時の生活を推察されています。
    その中で、とうてい歩けそうにない骨折を病んでそれが治癒した形跡のある個体が発見されています。

    狩りができなければ飢え死にか逆に捕食されるかの運命が普通なのに、治癒したのは、この恐竜に餌を運んでいた仲間がいた可能性があるそうです。(仲間に給餌の意思決定)

    最近ではティラノサウルスは親子で狩りをしていたとする説も登場しています。
    小型・軽量で約30Km/hで走ることのできる子どもと、体重が重くて機敏に走ることのできないが強力な顎を持つ親がお互いの長所を活かし、協力して狩りをおこなっていたのではないかと説明されています。
    すなわち、子どもが獲物を追い詰め、待ち受けた親がとどめを刺したとする説です(もし、事実なら役割分担の意思決定)

    チーターの役割分担
    トラやライオンの体重の3分の1しかないチーターはその代わりに世界最速の走行スピード(一説には100Km/h)を誇っていますが、単独では体重に見合っただけの小さな獲物しか狙えません。
    ケニアの野生の三頭の兄弟チーターは、共同作業でダチョウ狩りをします。

    ダチョウは世界最大の鳥類で、体重はチーターの2倍くらいですが、100平方センチ当たり4.8トンという強力なキック力を武器としてライオンなどを寄せ付けません。
    走行速度も速くてダチョウに追いつけるのはチ-ターくらい
    です。しかし追いつけたところで体重の軽いチーターでは倒せません。

    ところが三頭の兄弟チーターは、リーダー役の一頭が静かにダチョウに接近し、他の二頭は隠れていて姿を見せない。
    狙われたダチョウはチーターが一頭だけなので、油断して草を食べています。
    気が付いたらダチョウは三頭のチーターに追いかけられています。
    ついにダチョウは三頭分の体重をかけられて倒されてしまいます。(役割分担の意思決定)

    バンドウイルカの追い込み漁
    日本の太地町でおこなわれているイルカの追い込み漁は世界中の注目を集めていますが、これとそっくりな追い込み漁が米国にあります。

    といってもこれは人間が行うのではありません。

    フロリダ州沿岸の海に住むバンドウイルカは人間以上にスマートな追い込み漁で小魚をとって食べています。(BBC放送:生命という奇跡・驚異のサバイバル#1のドキュメンタリー番組)

    遠浅の海に住む小魚の群れを野生のバンドウイルカの群れ(映画では4~7頭)が追い込み漁で食べています。
    私の見る限り、これはザ・コーブのようなヤラセやインチキではありません。一部始終が上空のカメラでとらえた実写なので、人手が入る余地がないのです。

    群れのリーダーの一頭が追い込み役を受け持ちます。
    海底(水深1メートルくらいか)の砂泥を尻尾で激しく叩いて舞い上げながら、大きな円を描いてその中に小魚を囲い込みます。
    砂泥が描く煙幕の輪を次第に小さくしてゆくと、小魚群はパニックを起こして海上に飛び出して逃げようとします。
    このタイミングで仲間のイルカは煙幕の外に並んで口を開けて待っているとそこへ小魚が飛び込んできます。

    棚からボタ餅ということわざがありますが、空から小魚というわけです

    小魚群は集団行動の習性に従って、そろって一方向に飛び出してきますから、その方向を間違えると、小魚はいくら待っていてもそこには出てきません。

    どうしてイルカたちは小魚群が飛び出してくる方向を予知できるのでしょう。
    どうしてリーダーは直径10メートルの美しい輪を煙幕で描くことができるのでしょう。
    どうしてリーダーは広い海面の一か所に魚がいることを察知してベストの位置とタイミングで煙幕張りのスタートを切ることができるのでしょう。これを間違えれば小魚群は煙幕の完成前に逃げ散ってしまうでしょう。

    そこには教えられた芸や知識ではなく、知識を取捨選択して適切な行動を起こす方向付けを行う理性が働いていると思われます。

    このイルカたちの見事な職人わざと連携プレイに感嘆して、職人の片割れである私はいささかの敬意すら抱いてしまいました。

  21. みんな真剣 より:

    コメントを読んでいたら、
    井の中すら知らない蛙 と、
    井の中をよく知った上で外へ出向き、外の世界もよく知った蛙。がいるなと思いました。
    私はどちらかというと、井の中すら知らない蛙。
    親世代が食べてきた鯨の肉。太地町で食べましたけどほんとに美味しかった。けど食べつけてないからか、その血の滴り具合にちょっとウエッてなりました。好んで買うことは私はないです。
    ただ、人が好んで食べているものやその仕事にケチをつけられるほど、おめでたくはないつもりです。
    私が不快に思うのは、相手が何も言ってこないのをいいことに一方的に人のことを責め立てる行為です。

    魚を捌くとき、小さい魚はあまり抵抗はないけど少し大ぶりになってくると内蔵はしっかりわかるし血の量もあるので、心臓がドキドキします。命をいただくんだと、美味しく食べますからと手を合わせる気持ちになります。しらすを茹でるとき、ピチピチまだ動いていたら、美味しく食べるから!と、一気に熱湯につけます。胸がギュッとなります。子供の頃、牛でも豚でもほうれん草でも、命を殺して食べることに怖くなって何より必要ない分までとって無駄にしてしまう人間の自分をうらめしく思ったことがありました。
    牛や豚を捌くところも見たことがあります。電気で頭を痺れさせて、心臓が動いているうちに血抜きをします。魚を捌くときとかわりありません。できるだけ苦しめないというのは、美味しいからか作業する人の気持ちのためかはわかりません。そういう方法をとってあります。
    鹿や猪、兎の猟、捌き方もそう変わりありません。銃で致命傷を負わせて血抜きをします。
    犬の話が出ていましたが、私も見ましたけど苦しめた方が美味しいからと人間のお祭りとして行われています。(国内でも批判はかなりあるようです。)
    鯨の漁の仕方もその道の人がずっとやってきた方法と捌き方、食べ方があると思います。
    私は知らないことがたくさんありますが、世界中にたくさんの食文化があります。勿論、捕りすぎとか、生態系をこわすようなよその国へ迷惑をかけるようなことは言われても仕方がないと思います。
    鯨も捕りすぎていたなら謝って従うことが必要だと思います。
    犬のことも私が思うに、家畜を処理するように一思いにやる方法であればさほど問題に感じません。
    苦しめるという行為には、私も反対する気持ちがあります。

    何の反論もしてこないからと一方的によその食文化を責め立てることはおかしいと思います。
    何が残酷なのか。苦しめることがよくないならそこへスポットを当てて、苦しめない方が美味しい根拠を説明したり、いかに苦しめずに絞めるかを教えたりして誤った認識を変えていけばいいと思います。

    皮肉を言うなら、ベジタリアンの人が肉を食べる人を責め始めたら、世の中おかしくなってしまいます。人のことを責め立てて禁止するより、多様な文化を知ってよりうまく共存していくことを大切にしようと思います。
    少なくとも私は4人の子供らをそういう風に育てるつもりです。柔軟に強く成長できるよう促します。

  22. TOURER より:

    人間を捕食する生物が現れたら皆なんて言うのかな。
    人間が地球を自由に操っているという傲慢さが地球の寿命を縮めている現状を認識して、自分の権利や主義主張を押しつけるのではなく、自然の摂理を踏まえた上で取り決めを行うことはできないものでしょうかね。

  23. 細かく言うといくらでも反論が。。。 より:

    他の食文化に対して多少思う事があってもごちゃごちゃ言う事はないでしょう。
    文化ですから。

    ただ、明らかに他の迷惑になる様なら、非人道的、暴力的やり方でなく訴えるべきでしょう。

    テレビ番組や、もしかしたら隣の人が、自分からすると信じられない様なものを食べているのを、たまに目にしても、驚くだけで、止めさせる様な行動に出る事はないでしょう?

    余程の事でないなら、文化に対して文句を言う必要は無いのでは?と私は思います。

  24. 白玉善哉 より:

    皆さんの意見を読ませてもらうことでイルカ漁についてたくさん考えさせられますね。
    私は牛も豚も鳥も可愛いと思いますし、馬も可愛いと思います。もちろんイルカや鯨も可愛いですね。でも牛豚鳥馬食べます。おいしく頂いてます。イルカや鯨は食べたことはないですし、正直食べたいとは思いません。一部の人を除いたら、食す事に関しては躊躇される方が多いのではないかと思います。(個人的な感覚で)
    けれど漁に関しては賛成です。だって食べる人がいるんですよ。それもとても命に対して感謝の心を持っている。どっかの白人さん達は鯨の脂をとって後は捨ててましたね。そんな歴史しかない人に我が国の文化を説明無しで理解する事は無理だと思います。
    フロント活動をしない日本にも落ち度はあります。イルカの「捕獲量」「消費量」「廃棄量」をグラフ化して公開してみたらどうでしょうか?「どれだけ命を大切にしているか」という事をアピールしていけば世界の人達も理解してくれるのではないでしょうか?
    甘いかな?でも世界全ての人がシーシェパードの様な考えではないはず。きっと何も知らなくて言葉のイメージだけに捉われている人もいるはず。ではないでしょうか??

  25. 飼育担当 より:

    イルカの肉は率先しない?鮪の肉はいいんですね?私は牛豚の肉が嫌いなので、肉そのものを率先しません。このことから、ひとそれぞれなんですよね。だから、可愛そうとかではなく、人間は動物の犠牲なくしては生きられません。だから、可愛そうでなく、感謝して頂くべきと考えます。

  26. 頂点捕食者の驕り より:

    人が人を癒すというのは、医療の根源にかかわる大切な問題です。
    また、医療は政治、経済、福祉、文化などといっしょに私たちの社会を成り立たせている人問の問題でもあります。

    人間は生物の進化の過程のうえにあるので、医療の根源を探ろうとすれば、進化の問題を避けては通れません。

    最近の進化生物学や動物行動学の進歩により、人が人を癒すという行動は人間だけではなく、人間以外の動物にも広くひろがっていることがわかってきました。

    ですから、人間以外の動物の癒し行動がどのように進化してきたかを研究することは、よりよい社会の発展には大切なことではないでしょうか。

    動物行動学の第一人者といわれる フランス・ド・ヴァール博士の著書、「共感の時代へ」に載っているイルカのエピソードをご紹介します。

    1954年10月30日、フロリダ州の沖合の出来事。
    公営水族館用にイルカを捕獲するために、バンドウイルカの群れのそばの水中でダイナマイトを爆発させた。
    (米国でも60年前はこんな野蛮な狩猟を行っていたのですね。ビックリ。)

    気絶したイルカが一頭、体を大きく傾けたまま水面に浮かび上がった瞬間、二頭の仲間が助けに来た。

    「両側の水中から現れた二頭のイルカは、気絶したイルカの胸ビレの下あたりに頭の側面を当てて水面上に押し上げた。
    あきらかに、まだなかば気絶した状態のイルカが呼吸できるようにするためだった。」

    二頭のイルカは水中に潜っていたから、救援に取り組んでいる間は呼吸できないということだ。
    群れ全体は近くにとどまり、(通常なら爆発後に直ちに逃げるだろうが、)仲間が回復するのを待っていた。
    それから見事な跳躍を見せながら一斉に逃げていった。

    この出来事を記録・報告したのは Anthony Swofford という科学者で、こう付け加えている。

    「目の前で繰り広げられた自分と同じ種に対する共同の援助が本物であり、意図的なものであったことは疑いようもない」

  27. 頂点捕食者の驕り より:

    イルカの里親
    野生の雌イルカがイルカの孤児を子育てした、と近畿大が鯨類の里親行動を確認したそうです。
    (2016年4月7日のサイエンスポータル、毎日・東京・日経新聞各紙)

    近畿大農学部の研究チーム(酒井麻衣講師ら)によれば、野生イルカの若いメスが孤児イルカに対して授乳などの子育てをすることを観察し、世界で初めて英国Nature の姉妹誌Science reportsに報告しました。

    伊豆諸島御蔵島の周辺には約120頭の野生のミナミバンドウイルカが生息していますが、
    御蔵島観光協会によりそのイルカの一頭一頭に個体番号と名前が付けれています。

    近畿大の研究チームは2012年4月、赤ちゃんを連れた大人のメス「リンゴちゃん」(当時15歳)が、出産の翌月に死亡したのを確認しました。

    赤ちゃんは一時行方不明になっていましたが、2か月後に育児経験のない「ほっぺちゃん」という名前の当時8歳の若いメスと一緒に泳いでいるところを発見されました。

    水中カメラで観察していると、ほっぺちゃんは一緒に泳ぐだけでなく、授乳したり、胸ヒレでなでたりしていました。
    ほっぺちゃんの子育て・里親行動はその後102日間続きました。

    実の母親リンゴちゃんと、育ての母親ほっぺちゃんの間にはDNA照合しても血液関係はなく、5年前にさかのぼって映像を検査しても触れ合ったり並んで泳ぐといった仲良し行動は全くしておらず、二人の間には特に強い親和的社会関係は認められませんでした。

    ほっぺちゃんはたまたまリンゴちゃんの事故現場に居合わせて 赤ちゃんに近づいたと、推測されます。

    強い血縁関係も親和的社会関係もない、いわば赤の他人の子供の里親になって育てる行動が世界で初めて確認報告されました。

    前回と今回の投稿の共通事項である、「他者を助ける」というイルカの特性研究は、人間社会における助け合いがどのように進化してきたかを紐解くヒントになるでしょう。

  28. 頂点捕食者の驕り より:

    終わりに
    これまで、何回かにわたった投稿をつうじて、野生の動物同士が助け合ったり、協力し合ったりする行動を見てきました。

    ほぼ動物の進化に沿って、
    鳥類(シロビタイハチクイ)、
    爬虫類(ティラノサウルス)、
    陸棲哺乳動物(チーター)、
    海棲哺乳動物(イルカ)、
    人間、事例の順です。

    えっ、人間の助け合いの事例はどこにあるの?・・ですか。

    人間の助け合いの事例だけは野生ではありませんが、最後の事例がそれに相当します。

    最後の投稿は御蔵島のイルカがテーマでしたが、これは人間の事例でもあります。

    御蔵島の観光協会の方々と、近畿大の研究チームの方々は、全く異なる業界に所属する二つの集団です。

    この二つの集団が20年以上も協力し合って学術論文という知的財産を生み出したのは、他の動物が食料、酸素、お乳などの物質資産を生み出したのに対して、いかにも人間の人間らしさが表れていて素晴らしいと思いました。

    終わりに、長い投稿の掲載をお赦しくださった管理人様と、それをお読みくださった皆様に厚くお礼申し上げます。

  29. 頂点捕食者の驕り より:

    これは追補です。

    今回はイルカと人間が協力しあって漁をして魚を得るという、異種の動物間の協力関係について、ご紹介します。(生物学では相利共生と言います)

    前回までの投稿で扱った動物たちの協力関係は、すべて同一種の動物の間で観察されたものでした。
    今回ご紹介するのは、次の二つの事例からの引用です。

    1)大西信吾:ミャンマーにおけるカワゴンドウと漁師の共生漁 国連食糧農業機関(FAO)専門誌への投稿(2008年)
    2)NHK BS総合テレビ:鶴田真由のミャンマーふしぎ体感紀行(2015/8/25放送、のち再放送)

    ミャンマーを北から南に流れる長さ800Kmの大河・エーヤワディ川の中流に散在する農村に、カワゴンドウイルカと協力して投網漁を行う漁師一家が何軒かあります。

    一家の漁師たちは乾季になるとカヌーで川の浅瀬に乗り出し、木片で舟べりを叩いて、イルカに「漁をやろう」と知らせます。
    沖にイルカがやってくると漁師は「ル、ル、ル・・」と喉を鳴らして「ここで待ってるよ」と合図します。

    イルカは速度を落としてカヌーをよい漁場に案内して、魚を集めてきます。
    漁師の投網の準備ができると、投網の錘を甲板に打ち付けたり、櫂で水面を叩いたりして、「網を打つ準備ができた」の合図を送ります。
    魚が漁船の近くに集まったら、イルカのリーダーが尾びれを振るか、水面を叩いて、投網を打つ場所とタイミングを報せてくるので、待ち構えていた漁師はすかさずそこを目がけて投網を打ちます。

    漁師は網を引き揚げて、かかった魚(鯉の仲間や草魚)を獲ります。
    イルカたちは網から漏れる魚を独占的に食べます。
    イルカが魚を追い立てなければ、漁師の漁獲量は格段に減ってしまいます。

    漁師の話では、この漁法は祖父の代から始まって子から孫へと伝えられて80年くらい経つそうです。
    イルカのほうもこの漁法を代々引き継いできています。
    家族同士の長いお付き合いというところでしょうか。

    漁師の一人はこう言っています。
    「イルカたちは私たちにとって、家族だと思っています。イルカは私たちの恩師であり、父であり、母であります」

  30. ぽむ より:

    あなたがどんなに正論的なこと言ってもイルカ漁の批判とデモは永遠と終わりませんよ。
    無駄です。
    私はビーガンです。
    イルカ漁を残酷だと思います。
    伝統?そんな言葉で片付けていいわけないだろう。
    スペイン、メキシコの闘牛も真っ向から反対します。
    闘牛とイルカ漁、やってることの低レベルさ、変わりませんね。
    正当化できませんし、一生反対する人はいくらでもいますから。
    残念でした。

  31. より:

    漁師にイルカは家族ですって言われても。いや家族殺してんじゃん。家族殺して大金に換えてる。
    今時動物殺すのはもう合わないね。
    動物実験だって企業が痛烈な批判されて大ダメージ受けてるし。
    動物殺したい人と動物殺し反対の人の比率がもう逆転してる。
    動物殺したい人がかなり少なくなってる。残虐な人間が減ったという良い事でもある。
    これ以上は世界中から非難されて無理だ。

コメントを残す

このページの先頭へ